コーヒーを辿る旅
何事につけ、ことの次第を知りたくなる。
当たり前と思われているものごとでもあれこれと問い質してしまうのは自分の性分だ。
人と物が入り乱れ混ざり合う現代社会は効率第一、常に前進、立ち止まることを好まない。だからその表層を生きる私たちが、目の前のものごとの真正性にいちいち探りを入れることはあまり歓迎されたものではない。とは言え、私たちはスーパーで手にした商品を裏返しにして、それがどこから来たのか、何によって作られているのか確認せずにはいられないし、野菜を包むプラスチック袋に生産者の笑顔の写真があると安心したりする。誰だって自分と世界、モノとの間をつなぐ確からしい何かを求めずにはいられない。
そんな暮らしの中、ある時毎日漫然と飲んでいたコーヒーの歴史を知ってハッとさせられた。コーヒーは地球上の限られた熱帯地域にしか育たないこと。気候が栽培に適さないヨーロッパの国々がこぞって大航海時代に世界中の植民地に渡り、そこでコーヒーの樹を植えていったこと。カフェの誕生が市民社会の中で議論や思想の自由を醸成し、やがてはフランス革命を後押ししたこと。さらに歴史をさかのぼり、夜通し祈るイスラム神秘主義者たちによって聖なる飲み物としてコーヒーの飲用が始まったこと。ヤギがコーヒーの赤い実を食べて興奮したのを見て不思議に思ったエチオピアの山羊飼いの少年が登場するコーヒー起源伝説。そして今では世界市場においてコーヒーは石油に次ぐ巨大な国際貿易商品であるという事実。コーヒーの魅力とそこから生まれる財に取り憑かれた人々の、世界中へ旅を続けて来た人間の歴史を辿りたいと思った。そして見知らぬ世界のどこかから様々な人々の手によって日々わたしの元に届けられるコーヒーの、その樹の姿をこの眼で確かめたいと思った。
人間が話す世界の言語の約4割が絶滅の危機にあると言われている。そして、常に種類が増え続けているかのように感じられるコーヒーもまた実は約6割の野生種が絶滅の危機に瀕しているそうだ。世界中どこへ行っても一杯のコーヒーがない朝など考えられないほど、似たような暮らしを生きる何十億の”わたし”という個さえも、もしかしたらいつの間にか絶滅危惧種のような存在になっているのかもしれない。
だが、そんな世界にあっても、一杯のコーヒーの中に複雑に織り重なった苦味、酸味、甘みを感じ取り、豊かに溶け合う香りを想像力と比喩を使って表現する力が私たちの身体にはまだ備わっている。だとすれば、時空を超え、歴史をなぞりながらこの広い世界の奥深さと彩りの中に身を浸すような旅だって叶えられるはずだ。だって、熟れたコーヒーの赤い実にはきっとまだ魔法の力が宿っているはずだから。