emergence
長野県朝日村。私が住むこの村が新たに計画する分譲住宅予定地で縄文土器の破片が見つかったため、発掘調査を行うという。発掘作業の現場を撮影したいと村に申し出たところ、幸運なことに快諾された。
発掘が始まり、大型重機が地表を大雑把に掘っていくと、やがて黒土の下の少し赤みがかった縄文の地層に到達する。そこからさらに熟練作業員が鋤簾、竹串、ブラシなどの道具を使いながら、彫刻作品を作り上げるように慎重に土を削っていくと、そこに土器などの遺物が姿を現した。見慣れた田園風景のすぐ足元に現れた古層。二つの時間が同時に目の前にあることが不思議でたまらなかった。
土器のほとんどは壊された状態で見つかった。土の重みで自然に潰れたものもあるが、意図的に打ち捨てられたような姿で見つかるものもたくさんあった。かつて人々と共に生きた土器は道具としては一度死に、地中の闇に5000年近く沈んだのち、再び人間の手によって掘り起こされ、光を浴びる。その瞬間に何度も立ち会った。土をめぐる果てしない人間の営みの過去と現在が私の足元で渦を巻き、溶け合う。その未知なるイメージは私の心の表層を突き破り、その下奥深くで眠っていた神話の水脈に雪崩れ込み、心の河床を激しく揺らした。なぜ人間はイメージを生むのか?不意に襲ってくるその問いの答えを目の前の土器が囁いている気もするが、その記録を試みるのであれば、光と闇を司る写真をおいて他にはないだろう。そう信じて、発掘の現場を夢中でフィルムに収めた。
掘り出された土器片はその後継ぎ合わされ、村の資料館に収蔵された。氏神遺跡と名前がついた発掘現場は分譲住宅地として埋め戻され、今では新しい家が建ち、多くの家族がそこに暮らしている。