冬山の姿

 わたしが住む長野県朝日村の家は松本平と言われる広い盆地の西の端、北アルプス手前の行き止まりにある。買い物にしろ何にしろ、移動はほぼ全て車、ルートも決まっていて、盆地の西側にそびえ、地元では「西山」と呼ばれる2000mを超える山々を背に、緩やかな傾斜地を松本平に向けて車で降っていくことになる。家を出て5分ほどで目の前が開けてくる高原野菜の畑の奥、正面に美ヶ原、高ボッチをはじめとする通称「東山」、その右奥の八ヶ岳連峰が視界に入る。この地に住むと、山の名前と姿形は自然と記憶され、周りに見えている山の位置関係から自分の現在地を割りだす癖が知らず知らずと身につく。
 そんなこの地に冬が訪れると、山々の姿が一変する。季節の移り変わりが速いこの地の生活に慣れたとはいえ、変わりゆく冬山の姿をいまだに毎年驚きを持ってフロントガラス越しに眺めている。木々の葉が落ちたことで姿が顕わになった山々は谷筋に貯まった雪と稜線がコントラストを生み出し、冬の澄んだ空気の中で研がれた光によってその姿に一段と鋭さが増す。冬に山容は極まる。その姿に見入り、夏から秋の季節にははっきりと捉えられなかった稜線をなぞっていると、まるで裸婦のデッサンでもしているかのように、その山の本来の姿を目の当たりにしているような気がしてくる。
 今年の冬は思ったより早く訪れた。温暖化の顕著なここ最近では珍しく、12月の中旬から冬らしい寒さの中、雪が舞い始めた。信号待ちのわずかな時間、いつものように車上から見る松本平の田畑は雪に覆われ、人影はもはや見当たらない。色が消えた畑も、緑を失った樹々も車窓の外を眺めるわたしの眼ををとらえることはない。その奥で、なぜかいつもより近くに感じる冬山をわたしは見つめている。これから始まる数ヶ月の厳しい長い冬の間、自分という内側に篭りながら山と眼差しを交わし合い、静かに春を待つ。そんなこの地の冬がわたしは好きだ。   

(2020年12月)