新米とトレイル
長野県のとある村に引っ越して来て8年になる。以来、近所の方から空いていた田んぼを借り毎年妻と二人で米を作っている。今年は7月に長雨に見舞われたものの、米の出来はとても良かった。農作業も一段落した先日、以前から歩きたいと思っていた信越トレイルに向かうことにした。信越トレイルは長野県と新潟県の県境に位置する標高1000mほどのなだらかな関田山脈の稜線に沿って整備された80キロに及ぶトレイルで、秋には紅葉の中の里山歩きを楽しめるルートである。
この4泊5日の旅に自分の田んぼで収穫した搗きたての新米を持っていくことにした。アルファ米を利用したアウトドア食が広く普及する昨今、生米を持って山に入る人はあまりいない。生米は重く、炊くのに時間もかかり、またコッフェルで炊くのには少しのコツが必要だからだ。5日分で約20合、いまだ水分をたっぷり含んだ生米を詰めたリュックは肩が軋むように重かった。
1日中歩き、その日のキャンプサイトに到着するとテントを設営し、米を研ぎ、ガスバーナーで炊く。たくさん炊いておき、夕食後に次の日の朝ごはん、昼ごはんのおにぎりも作る。新米をエネルギーに変え、汗と共に歩をひたすら前へと進める。日に日に荷物は少しづつ軽くなっていき、最終日ゴールに着いた時、持っていた全ての米は空になった。
天候にも恵まれた山歩きの旅は素晴らしいものだった。道中、この地域の里山の象徴とも言えるブナの美しさに幾度となく足を止めた。「水の木」とも言われるブナの林はフカフカに積み重なった落ち葉がたくさんの水を蓄え、その水がやがて麓の里を潤す。山にいながら里を想った。日本の原風景ともいうべき飯山盆地の田園を見下ろしながら食べたおにぎりの味は格別だった。とは言え、正直言うとこの山行ではあまり米がうまく炊けず、おにぎりは芯が残っていて硬かったのだが、それもまた山ならではの味ということにしようではないか。
(2020年10月)