鳶になる

山仕事に欠かせない道具の一つにトビがある。
昔から伝統的に山で使われていたトビは、樫や楢などから取られた丈夫な長い柄の先に10センチ程度の鋭く尖った小さな鉄のくちばしが付いている。私たちに馴染みのある空を飛ぶ鳶の嘴に似ていることからその名がついたことは想像に難くない。

そんなトビの道具としての真髄はその穂先、中でもその先端数ミリにある。強く鍛えられた鋼の先には小さな鉤のような”かえし”が付いているのだ。猛禽類に象徴的なくちばし、その端先のあのかたち。思い切り振り下ろし、穂先を木材に突き刺せば、そのかえしのおかげで、一度食いつけばなかなか外れることはない。そうすれば重い丸太でも、楽に引っ張りたり移動させることができる。

トビ は引っ張るだけではない。刺す位置を変えながら材をその場で回転させたり、方向を変えたり、軽く使って丸太をコロコロ転がせたり、てこの原理を使いながら長い丸太を山積みにしていくことだってできる。丸太が斜面を落ちていかないように抑えておくのにトビほど役に立つ道具はない。そして、それもこれも全てはトビの穂先のわずか数ミリのかえしのおかげなのだ。里に山に、生き抜くために自然と常に向き合い、この数ミリのテクノロジーを磨き上げ継承してきた先人へ畏敬の念を抱きつつ、私はこの道具を愛している。

人間は手が発達したため、道具を作ることができる。そしてアイデアを生み出す想像力も備わっている。トビという道具が生まれた経緯は定かではないが、きっとそれは鳶という身近な鳥を日々観察した中で得られた洞察とインスピレーションの結果であっただろう。技術というものは人間がゼロから発想したものは少なく、ほとんどが自然の模倣、類推を礎にしている。人間は自然と接近しながら、想像力によって自らの手が作り出したトビという道具によって、猛禽類の強く鋭い嘴を獲得したのだ。そんな風に人間と自然との間のグレーゾーンに生まれるものをアナログ技術ときっと呼ぶのだろう。

いつかどこかで波乗りした後に、浜辺でのんびりお昼ご飯を食べていたら鳶におにぎりをかっさらわれたことがあった。何が起きたのかわからないほど瞬間の出来事だっだが、その鮮やかなひったくり技術に関心したのを覚えている。今、山でトビを手にすると、わたしはその時の事を思い出す。あの時、あの鳶がおにぎりという標的を狙いすましてアタックしてきたように、わたしは丸太の端のある一点に狙いを定め、トビを振り下ろす。わずか数ミリの穂先を通して、彼らの賢さと慎重さと勇気がわたしの体に入りこむ。

その瞬間わたしは鳶になるのだ。

(2023年4月)