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10年以上前、長野県の小さな村に住み始めた頃のこと。山に囲まれた家の庭で優雅に妻とランチを食べていると、裏山からカモシカが降りてきた。少し離れたところからこちらを見つめるその姿はとても愛らしく、「いいところに引っ越してきたな」と思った。
一方、その当時村では山から降りてくる動物に田畑の農作物を荒らされる被害が増えていた。私自身も畑で育てたかぼちゃを猿に取られたり、猪に田んぼを荒らされたりもした。引越しから数年、村内全域の山沿いに全長約20kmの柵が敷設された。動物が嫌がる電圧線がついたその柵は鳥獣防護柵、通称 ”電気柵” と呼ばれた。
日常の景色を変えた電気柵。あの柵の向こう側から里を眺めたら何が見えてくるだろうか?私はカメラを携え、柵の扉を開け、それまで入ったことのない裏山へ足を踏み入れた。山の中は荒れ、木は茂り、藪は深く、暗い。その影のすきまから、電気柵の向こうに里が見える。農地を拓き、家を建て、舗装した道路に車を走らせる里での人間の営みは山から見るとどこか奇異に映った。
あの時のカモシカもきっとこんなふうに里を眺めているのだろうか?
そんなことを想像しながら、腰を屈めて木陰に隠れ、息を潜め、シャッターを切るその瞬間、わたしは山の獣になった。
山ではかつての人々の生活の痕跡を多く目にした。そこには名も知れぬ小さな社があり、沢が流れていた。そして柵沿いで特によく目にしたのは先祖の墓だった。「谷深いこの村では日当たりの良い土地は貴重で、食料を得るためにみな田畑にする。だからお墓は暗い山沿いに建てる」近所のおじいさんがそう教えてくれた。
山と里が重なる場所。人間と自然のあわい。そこでは光と影、生と死がせめぎ合い、聖と俗が交錯している。古くから人々が里山と呼ぶ空間とは、拮抗する力から生まれる緊張感を内包した場なのかもしれない。
かつては木こりや炭焼きなどの山仕事を生業にした村の人々も山に入る機会はめっぽう減った。今では遠くなってしまった山、人口減少が止まらない里。そして、その間に引かれた電気柵という境界線。その向こう側から向けられる眼差しを私たちはこの先どれだけ想像し続けることができるだろうか?